「祈り」って、神様のへの「お願い」と勘違いししてだけど、
誰かに幸せになって欲しいから、「私をその道具としてお使いください。」と言う神様に私を捧げものにしますって宣言じゃないでしょうか?
深く信仰を続ければそうなるんじゃないかな。キリストの生き方ってそうですよね。
聖人と言われる人たちは、それに倣って生きようとしてる。
私たちがする奉仕ってそういう生き方、そういう心の持ちようじゃないでしょうか。
そうやって、自分を犠牲にしてでも何かをなす時、神様が今度は私を愛で導いてくれる。
なんだか、とっても寂しい気分になっている時って、
私が私の心配をしている時のような気がします。
そう、気持ちが内側を向いている。
でも誰かのためにって思っている時、
すぐそばに私の為にって祈っていてくれている、何かをしてくれている存在がいる事にきづく。
みんな一人ぽっちじゃないんだって。